秘史その六

○ ソ連機編隊猛爆下の羅津港内外の惨状

ソ連が参戦した当時、同港には大型の輸送船十七隻が着岸し、満州からの穀物や関東軍抽出の弾薬等の積荷作業を行っていた。ところが軍から何らの情報もないまま、九日未明に突如国籍不明爆撃機編隊の空爆に曝された。
夜が明けたらソ連機と確認され、ラジオでもソ連の参戦が報じられた。

当然所在部隊からの反撃を期待したが散発的で、むしろ輸送船団の警戒隊や船砲隊からの応戦が目立った。しかし衆寡敵せず、かつ着岸中の船は身動きができないため被弾する船が相次ぎ、手のほどこしようがなかった。以下、残存船三隻と戦没船七隻の戦記を拾って見ることとする。

残存船

1 大同海運 向日丸(むかひまる)戦標船 2A型

2 南洋海運 さまらん丸

3 辰馬汽船 辰春丸

戦没船

1 日本郵船 延寶丸 戦標船 2A型

2 日本郵船 襟裳丸 戦標船 2A型

3 日本郵船 枝光丸 戦標船 2A型

4 菅谷汽船 天正丸

5 大阪商船 めるぼるん丸

6 大阪商船 保津川丸 戦標船 2ED型

7 帝国船舶 帝北丸

8 大連汽船 羅津丸

©2009 Kaneo Kikuchi

表紙 目次 前頁 03-64 次頁